島で本を出す
島に戻って
本に対する特別な思い入れがあったから出版社を始めたわけではない。島に住みたいと思って戻ってきたので、順序としてはまず島がある。変な話だが、あるいはそのことがかえって小さな島で20数年間本を出すことができている理由なのかもしれない。
15年暮らした東京から故郷である石垣島に戻ってきたのは1986年だった。1年ぶらぶらして1987年の暮れに『八重山手帳』を出した。私の八重山暮らしを助けてくれる手帳が欲しかったのである。八重山に暮らすのに便利な手帳なら他に喜んでくれる人もいるはず。これが原点である。
銀行のネーム入り手帳がただでもらえるバブル初期のころであったが、『八重山手帳』は多くの人に喜んで迎えられた。私は南山舎を興した。はじめのうちは「?」と必ず聞き返されたが、次第に「?!」「!」と定着していった。ときどき「!!」の反応も来るようになった。島では継続するというのはとても大事なことである。
『八重山手帳』を出しながら新聞の企画記事を書いたりした。夜は学習塾。一方、1992年3月には企画開発した新聞検索システムを石垣市立図書館で稼働させた。これは本の話ではないが、関係なくはない。つまり、他でフォローしなければ島で本をつくり続けることは難しい。これは現在でもそうである。
八重山の人口はおよそ5万人。狭いマーケットである。加えて、出版業はなにしろ先行投資である。編集制作費、印刷費を先に支払ってできあがった本を売らなければならない。何年もかけて元を取るのが普通だし、売れなければさらに最悪である。
八重山にテーマを絞る
マーケットを広げようと試みたこともある。内容を沖縄全体にまで広げた『おきなわの記憶』という旅の日記帳をつくって、八重山だけでなく沖縄全体で売ろうとしたが、本を流通させ売るための努力に比して成果は少なかった。内容にもよるのだろうが、そのときに自らの原点を再確認した。以後は八重山をテーマにした本だけをつくっている。
中央の出版社ならベストセラーを1冊出せば売れなかったかなりの数の本の分を相殺して余りあるのだろうが、そんなこと望むべくもない島では、島の方法が必要だと考えた。そして心してきたのが、今はやりの言葉で言えば地産地消とネットワークであった。
1992年5月にタウン誌『情報jaima』(のち月刊やいま)を創刊した。そのとき考えた。雑誌の販売だけでは成り立たない。広告料が高ければ最初のうちはつきあってくれても毎月はつづかないだろう。それでは早晩行き詰る。そこで月2000円で小さな広告枠と雑誌5冊(現在は3000円と3冊)をもらえる賛助会員のしくみをつくった。無理のない形で多くとネットワークを結び読んでもらおう。知り合いの多い島ならではの方法ではある。
旗印「月刊やいま」と20年
40ページ1色刷りでスタートした『月刊やいま』は、今では80ページフルカラーである。約20年、休まず発行してきた。ページ数が2倍になりカラーになったのは時代とともに歩んできたからで、儲けたからではない(出版業は厳しいのです)。それよりも、『月刊やいま』には大きな役割があった。南山舎の旗印となったのである。
旗印はいつの時代もすっくと立ってはためいていたい。そのために、悪いことはもちろんしないが、少々の無理はする。ちゃんと立ちつづけていれば認識され信頼をえることができる場合が多いからだ。都会は全体が見えにくく、したがってある一部で評価せざるをえない場合が多い。しかし島はトータルである。全体が見え、それが重んじられる。決定的でない小さな無理や失敗は許され時間のなかに消えていく。
旗印を見て、本を出したい、パンフレットをつくって欲しいなどの依頼が入ってくるようになった。現在南山舎は大濱信泉記念館の指定管理者であるが、企画書で選任されたとはいえ、あの『月刊やいま』を出している南山舎ならという信頼もあったのではなかろうか。
旗印の効果は外からもやってきた。『やえやまGUIDE BOOK』は全国販売されるようになり、フリーペーパー『やえやまなび』は多くの観光客に求められ、南山舎のサイト『やいまねっと』には1日平均700〜800人が訪れるようになった。
旗印を掲げてネットワークをむすび、フリーペーパーで広告をあつめ、手帳、ガイドを販売し、おかげで、これまでに20数冊の本を出すことができた(自費出版はのぞく)。平均すれば1年に1冊強だが、島のさまざまな状況を考えればけして小さな数字ではない。そのなかの4冊が沖縄タイムス出版文化賞ほかの賞を受けた。私たちにとっては大きな誇りである。島に住んでいるとつくづく誇りは大事であると思う。人を結ばせるし、奮い立たせてくれるし、次につなげてくれる。
誇りこそが我われの砦
誇りといえば、2011年の春に南山舎は大きな仕事を完成させた。前新透著『竹富方言辞典』の刊行である。収録語数17700語。1560ページに及ぶ辞典である。つくった我々もびっくりするくらいの出来だったので、つい「枕にちょうどいい」などという言葉しか出なかったが、…やがてじわじわと胸に広がるものがあった。
しかし白状すると、この辞典は島の出版社の肩の荷物にしては重すぎるものだった。屋台骨が揺らぐほどだった。なにしろ原稿をもらって完成まで7年ちかくかかった。編集で原稿の量は2倍になった。7年間収入はなく出費だけである。
資金繰りに困ってある金融機関を訪ねたら、100冊も売れるでしょうかね、と融資の担当者に言われた。この仕事をトータルに考えてくれているふうではなく、がっかりだった。島にもちろん都会の風の通り道はある。近く満期になるローンの借り換えをお願いしたのだが結局断られた。が、捨てる神あれば拾う神あり。なんとか凌ぐことができたのは幸いだった。これもまた、島。
そんなこともあったので、『竹富方言辞典』のPR文句を「小さな島の大きな辞典」とした。誇りこそが我われの砦、の気持ち。そしてそれはとくに竹富人たちの共感をえたようで、竹富の島民はじめ、竹富郷友会、全国竹富島文化協会などが販売に協力してくれた。
おかげで辞典は初版の500部を売り切った。もっとも、その2倍の部数を売り切っても7年間と印刷代の経費を取り戻すことはできないけれども、そのかわりに私たちは島で生きていくうえでもっとも大事なものを得ることができた。誇りと自信である。
*追記・・2011年10月『竹富方言辞典』は第59回菊池寛賞に選ばれた。
出典 『八重山の社会と文化』 NPO現代の理論・社会フォーラム/古川 純 編 発行:南山舎



